大学院生の日常

「成し遂げる」とは

みなさんこんにちは。

今年ももうそろそろ半分が終わりそうになり、時の流れの早さを実感しています。

 

私には、自分を縛り付ける言葉があります。

それはタイトルにもあるとおり、「成し遂げる」です。

毎日、今日はこれを成し遂げられた! とか、今日は何も成し遂げられなかった、とか、まあ後者の方が多い日々ですが、日々この言葉の呪縛に苦しんでいます。

そもそも「成し遂げる」とはどういう状態なのでしょうか。

辞書を引いておらず恐縮ですが、日本語ネイティブの私の感覚に頼ると、何か一定の基準を超えることがこの「成し遂げる」に値すると考えます。

すると、何かしら目標ないし基準というものが、行動を起こす前に設定されているということになりますよね。

目標を持っていなかったように思われる場合にも、自分の中の潜在的な目標が密かに息をしていると思っています。

 

私の場合には、明確な目標を立てていないにもかかわらず、潜在的な「完璧でいなければならない」という意識が虚像の目標となり、自分を苦しめます。

 

先日、いつものように何も成し遂げられなかった、と思った日がありました。

しかし、その日の私は、買い物に行って自炊をし、ごみを捨て、掃除をし、スーツに合わせるためのベルトを買いに行き、しかもそこで自分の体に合わせてカットまでしてもらいました。

こう見るときちんと生活をしているように見えますが、私にはその感覚はなかった。

 

このとき、思ったことがありました。

それは、私は無意味な自責に苦しめられているのではないか、ということです。

きっと自分でできなかったと思った日にも、私は意外とちゃんと生活できているのです。

それなのに、潜在的な完璧主義が私を苦しめるのです。

 

では、毎日小さな事から全て目標を立ててみたらどうだろうと思いました。

洗濯をする、掃除機をかける、光熱費の支払いに行く、等、頭の中で計画している行動を起こす前に全てを書き出し、それを目標とするのです。

これを実践してみたところ、上記のような成し遂げられなかった感は随分と軽減されました。

こんな簡単なことだったのかと思いました。

でも、人生は、簡単に見えるはずの答えを苦しみながら見つけるところに面白みがあるのではないでしょうか。

自分の育成ゲームだと思って、頑張ってステージクリアしていきたいです。

 

余談ですが、私はゲームに明るくないです。

幼少期、ゲームを与えられなかったため今でもその面白さが分からず、頑張って始めてみようとしてもすぐに離脱してしまいます。

よいことなのかそうでないのかは分かりません。

今はゲームプレイの実況動画をたまに見ますが、人がやっているのを見るくらいがいちばん私に合っているなと思います。